お日記

生きざまが雑煮のオタク

オスがかわいい

 

親戚の家には私と同年に生まれた犬がいたのだが、その子はオスだった。日本犬とテリア犬の雑種でそれなりに大きかったが、かわいかった。茶色い三角の耳がとても好きだった。かわいいので容赦なくワッシャーーとなでてかわいいねぇ~~などと言っていた。ちなみに犬はじっとしていた。大人だ。

その犬に対して、ふと、オスならかっこいいと言っておくべきなのか????と思ったことがある。なぜか?大きいから?いや、その時思ったのは「オスだから」。

それってなぜ?

 

いま、我が家には猫がいる。オス猫だ。猫ってどうしてかわいいんだろう。オスでもメスでもかわいい。私は種族問わずオスが好きなので余計にうちのオス猫がかわいい。何してもかわいい。甘えて噛まれるとンオ~~かわいいけど噛んじゃだめだぞ~~~かわいい~~~~~となる。

猫を飼うと行動観察を自然にしているらしく、ネットやテレビに猫が映るとその子の顔つきや仕草から性別がわかるようになった。不思議なものだ。骨格なのか何なのか、性差というものは間違いなく存在するものらしい。猫はオスでもメスでもかわいい。

 

人間、というか日本人は「らしさ」というものがある。男らしさとか、女らしさとか。ますらおぶり、たおやめぶりとかいう言葉があるので、それは千年以上前から続いてきた文化なのだろう。これはもうある種呪いなので、生きている以上もしかしたら逃れられない。日本文化なのか、海外でもそういうこともあるのだと思うが。猫はそんな呪い知らない。ジェンダーにとらわれている私の目からしてもオス猫は問答無用でかわいい。

おそらくだが、男性のアイコンに対して使われるギャップ萌えという言葉も、日本では「男らしさに反して」というニュアンスを含んでいるパターンがそれなりにあると思う。ジェンダーレスとかそんな感じの流れがあるけれど、どうしてもこの呪いは外れていなくて、呪いがあるうえで楽しもうとか自由を求めようとかいうところであがいている最中なのではないかと思う。壁の中で動いている段階で、壁を壊すというところはごく小さいレベルでしか起こっていない。それでもかなりの進歩なんだとは思う。

表現者や顕著にあおりを受けている者が活動し始めている段階が今で、これが多くの人間に行きわたるのはまだ先だ。例えば、男性の自殺率が多いのも、女性の社会的な立ち位置も、全部この「らしさ」に呪われた種族だからだと思う。この水準を塗り替えてこそ、壁を壊すということなのだと思う。だがそんなバコーン!みたいな急激な変化はそうそう起こらないだろう。明日のことなど誰もわからないが。

きっと日本はまだまだそういう「らしさ」から抜け出すことはできない。それでも、小さな気づきをたくさん重ねて認識して勉強することだけでもできたらなと思う。

手始めにジェンダーについて知りたいのだけれど、なかなか腰が重くてできない。全体的にタスク管理が下手なんだと思うので、そっちも並行して何とかしていきたい。

教えられる機関に所属していないので、自分が自分のことを教育していくほかないのです。そういう自由を与えられているのですから。自由の刑をやりくりしていきたいですね。以上